長蔵音頭
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遊鼓
遊鼓 遊び書き. 2013年
其の一
一、
世界には強烈なルーツに根ざした人間や音楽家達が生きている。
そんな人々との出会いを重ねる度、「君は一体何者なの?」と問われているような気がした。
学べば学ぶほど、学んだ音楽や楽器と自分との間に生まれるどうにもならない断絶。溝。
一体自分が発する音のルーツは一体どこなのか?
おそらく日本では本人が意識しようとしまいと、ルーツの感覚というのは希薄になっていると思う。
それは個人の問題をこえた社会の構造のどうにもならない力学の結果とも言える。
自分は一体何者なのか。
伝統的な社会では自明だった事も、僕にとってはもう一度自らの手で掴みなおさないといけなかった。
それは現代特有の病とも言えるかもしれない。
二、
民俗芸能ファンの僕としては、世の中全体のグローバル化の負の側面に対して嫌気がさしていた。
世界の音楽や文化を学べば学ぶほど、世界の標準から大きくはずれちゃってるような、味の濃い強烈な匂いを発するような、そんな音楽たちが少しずつ消えていってるような気がした。
いつの間にかどれもこれも似たような味気のないような文化になってしまうような気がした。
実際の所どうなのかはよくわからないが、現状を見る限り少しずつそのような方向に進んでいるように見える。
そこでふと我に返ってみると、民俗芸能が好きで世界各地の色んな楽器を買ったりしているが、その行為そのものが大好きな筈の民俗芸能の首を絞めていることになっているのではないか?という問いが生まれる。
風が吹けば桶屋が儲かるという諺もあるが、例えば着ている服一つとってみても同じようなことが言える。
今着ている服の工場はどこか?ではその原材料はどこで生産しているのか?ではその生産している土地や人間はそれを生産することでどのような状況が生まれているのか?
そのように問いかけを続けていくと、今自分が来ている服が大変な環境汚染、生態系破壊、文化破壊、そして人々の生活の苦しみにつながってしまっていることが判明してくることがある。
そこで自分は今楽器をのんきに演奏しているが、よくよく考えてみると、今演奏している楽器たちが一体何処で誰がどのように作っているのかも知らないで演奏していることに気づく。
もしかしたら、僕が好きな音楽や楽器を消費することによって、間接的に僕が好きな音楽や楽器の首を無自覚にしめているかもしれない。
音楽好きにとってみれば最大の矛盾だ。
それは考えすぎなのかもしれないが、どちらにせよ使っている楽器の出自にたいしてあまりに無自覚であることは事実であり、まったく距離感をつかめていないという事実は確かだ。
もう一度楽器との関係をゼロから捉えなおしたい。
そこからでしか始められなかった。
自分の命と世界はどのように関係しているのか?
どんどんと失っていくリアリティーに対して自らの体を使って捉えなおし、自分と世界との距離を自らの身の丈で計り直す。
その作業は僕にとってどうしても必要なことだった。
それは一種の治療行為とも言える。
僕は見失ってしまった生々しいコスモロジーを自ら再生する事で自らを治癒していった。
必要は発明の母とよくいわれるが、それは遊鼓誕生の大きな要因となった。
三、
遊鼓は様々な願いが絡まりあって生まれた太鼓だ。
その一つとして、いつの日か冒険をしながら太鼓を叩いてみたいという願望があった。
これは冒険が好きで、なおかつ太鼓も好きという限られた人種にしか伝わらない願望かもしれない。
なんだかひどく幼稚な願いのように感じられるが、どうしてもその合わせ技をやってみたくてしょうがないのだ。自分でも馬鹿だなあと思うのだが...
どうにかして移動しながらいつもと変わらぬ演奏ができないものか。
小さいドラムだとできるかな、とかパンデイロだとできるよなあ、とか様々な妄想を様々な試みで挑戦してみたが、そもそもその楽器自体にしっくりきていないので結局うまくいかない。
さらに言うと、僕は歩く事が兎に角大好きで、東京から大阪まであるいたり色んなとこを歩いてきたが、贅沢をいえば歩きながら叩けるような太鼓が一番ベストだった。
四、
様々な必要性やくだらない願望などが入り乱れ、色んなアイデアや悶々とした思いとが混じり合い、長い年月をかけながら発酵していった。
そしていよいよ発酵で生じたガスで身も心もパンパンになってきた頃、いろんな出会いがタイミングよく重なり、一気に爆発した。
たまっていた発酵ガスが一気に爆発する感じだ。
それからというもの、色んなものがどんどんと生まれていく感じで、僕自身も癒されていった。
自作楽器というもの自体はあまり好みじゃなかったのだが、どうしようもなく爆発的に自ら楽器を作ってしまった。
自分の多重性を殺さぬ道を見つける事が出来た。
遊鼓は出会いの結晶だ。
遊鼓が生まれたからこそ、逆に色んな事に自由になることができた。
感謝しかない。
これからも遊鼓の世界をどんどん深めていきたいと思う。
其の二
自分のルーツとはいったい何なんだろう?
そんな事をつきつめていくと最初の問いはどんどんと輪郭を失い、風になって消えさってしまう。
先祖を辿っていけば自ずと人類の誕生まで遡ることになり、さらにその起源を辿れば生命の起源まで遡ることになり、その前はその前はと辿っていくと物質の起源、そして宇宙の起源まで遡ることになってしまう。
宇宙の始まりなどそもそもまずあるのかどうかもわからないし、始まりという概念すら意味をなさないのかもしれない。自分のルーツは何なのか、それはあの子の髪をなびかせるその風はどこからやってきたのか、と問いかける事と等しい。
始まりを巡る問いかけは突き詰めていくと宇宙の始まりは?そもそも始まりはあるのか?という全てがなし崩しになってしまうような、無始の世界へと突入していく。
なのではっきりいってルーツなんてわかるもんじゃないし、ファンタジーなんだっていう考えにいたってしまう。
しかし、例えば固体は液体、液体から気体へと変化していくが、固体が物質の状態の全てという捉え方が不完全なだけであって、固体は液体や気体という状態を背景に万物流転の一つの側面と捉えられればいい。ルーツというのも人間の状態の一つの側面であって、万物流転のなかでの僕にとっての一つの物語である。
僕は北海道出身で歴史的にはアメリカに近いような感じもあって、先住民のアイヌの人々の歴史もありはっきりとした確固たるルーツのようなものは無かった。
おそらく音楽をやっていて、海外のミュージシャンや伝統芸能と触れ合う機会が多い人は誰しもがその問題を一度は通ったことがあると思う。ましてや現在の打楽器奏者は世界中のありとあらゆる楽器に手を出す性質があるり、僕の場合はますます自分を見失っていった。
真剣に悩んだ。ルーツを知るために自分の苗字である「土生(ハブ)」についても調べた。土生について知るために色んな土地へ足を運んだり、文献をあさったり、電話調査したりもした。
そのようなルーツをめぐる探究が数年つづいた。
そのルーツをめぐる探究を一つの動機として、遂に長年の模索を経て「遊鼓」という楽器ができた。
それは長年の考え感じていたことがあるタイミングで一つになり、一気にできあがった。
その直後、平行して進めていた「土生」にまつわる調査で、戸籍を調べ、遂に自分のひいじいさん達がどこから北海道に渡って来たのかがわかった。(宇宙規模でみれば本当に短い時間だが。)
そこは宮城県の亘理郡という場所だった。
僕はすかさず亘理郡の役所に電話して色々と尋ねた。どうやらそこには土生さんが沢山住んでるらしく、僕は何だか嬉しくなった。
その中で、何かヒントになるかもしれないと思い「この土地にはどんな芸能が伝わりますか?」と尋ねたところ「昔は獅子の格好をした三人が体の前に太鼓をつけて叩いて踊って、歌や笛が囃すっていうような芸能があったんですけど、もうなくなっちゃいました。」との答えが返ってきた。
僕は体中に電撃が走った。
「え、それって遊鼓じゃん?!」
ルーツを探究して生まれた遊鼓が、なんと偶然にも僕のルーツの土地に伝わる芸能と全く同じだったのだ。
これは土生の先祖が僕にその土地でもう一度芸能を復活しなさいと言っているかのように感じた。
そんなことは恐らく僕の勘違いなんだろうが、いつの日かその地で遊鼓の芸能をやってみたい。
僕の心の原風景は北海道だ。僕の故郷は母の子宮だ。
ルーツや土生をめぐるファンタジーは一つの固体であり、それは液体となり、万物流転の流れにのって気体となり、無始の世界であの子の髪をなびかせ、痕跡は跡形もなくなる。
そんなようものをやってみたい。
風のような芸能。
打っただヒカル
酒井将義とハブヒロシの二輪三脚で開発している宇多田ヒカルさんへのオマージュ作品「打っただヒカル」。
遊鼓の音量や音程に繊細に反応し、その光るスピードやカラーを美しく変化させる。